【リレーエッセイ(トレーナー2)】私のとっての心理リハビリテイションのキャンプの思い出

【リレーエッセイ(トレーナー2)】
私のとっての心理リハビリテイションのキャンプの思い出
「お前、動作法やめろ!」と言いたくなる自身の黒歴史

医療創生大学 原田真之介

 私は医療創生大学心理学部で教員をしています、原田真之介と言います。これまでご挨拶したことない読者の皆さま、どうぞよろしくお願いいたします。さて、皆さまは恐れ多くも心理リハビリテイションの実践に熱意と情熱をもった方々と存じます。私のような若手(心理リハ歴10年ちょっと)の頭でっかちな能書きやポジティブな事例体験など聞いても大して興味もないでしょうし、「そんなことぐらいでおごってんな!」と言いたくなる方もいるかもしれません。ですので、私は皆さま読者のニヤニヤとした笑顔を増やせる機会を積極的に提供しようと思います。その心意気が本稿のタイトルであります。
 さっそくですが、私の心理リハ黒歴史をご紹介しましょう。まずはとある場所のキャンプのこと(キャンプ先の関係者様にご迷惑をおかけしたくないので、場所と時期などの明記は控えさせていただきます)、私はとあるトレーニーさんとキャンプを過ごすことになりました。私はトレーニーさんに動作法の導入をしようとしたところ、なかなか受け入れてもらえませんでした。普通ならば、それでもあきらめることなくスモールステップでかかわりを展開するべきですし、こちらの働きかけにトレーニーが徐々にでも受け入れる時間、文脈を作るべきだと思います。しかし、当時の私は早々に心が折れ、一切かかわることなく動作法の時間は終わるセッションもありました。SVに間に入ってもらってかかわりもしますが、気持ちの折れた私ことトレーナーにトレーニーの心が開かれることもなく、ますます私とトレーニーの間には壁と言うか、溝と言うか、なんとも言えないものが立ちふさがる感じがありました。最終的には、食事中の会話をすることもなくなり、生活全般を共にするキャンプの意義を全く活かさずに時間がただただ経過していったのです。さらに私はその当時、「どうしてSVは助けてくれないんだろう・・」とふてくされてもいました。今思うと非常に痛い奴です。SVはただ一言、『自分と向き合いなさい』と言われました。当時はまったく理解できませんでした。周囲の熟練トレーナーからもSVと同じことを言われ、私はますますふててしまいました。いやー、書いていて思いますが、本当にひどいものです。「今思うといい経験だった」とか言えないほどのものです。正直、都合よく忘れたい記憶です。
 では第二の黒歴史。私は先ほど述べたエピソードもあって自身の苦い記憶を忘れたい、ぬぐいさりたい気持ちがあってか、動作法について気持ちだけストイックに取り組むようになりました。「自分は負けず嫌いだから」と当時は自己肯定していましたが、単に苦い経験の上書きをしたかっただけでしょうね。非常に幼稚な20代でした。ストイックにやっていたというのも自分に酔いたかったのでしょうね。そういう取り組み方をしていた当時の自分は、周囲の人たちを思いやるという大切さを忘れていました。なので、キャンプの全体ミーティングでも変に他のトレーナーに小難しい質問したり、でかい態度をとったり、班のメンバーと関わることなく自分のトレーニーさんとのセッションに集中したり、もうめちゃくちゃですね。当然ながら、当時の人たちをたくさん傷つけたでしょうし、嫌な思いもさせたと思います。今も心理リハの大会の懇親会などで当時のトレーナーさんと出会う機会はありまして、私はいつも目を合わせないように逃げてしまいます。捕まってしまって話すことがあると、上記のトレーナーさんから「原田さん、変わったね。当時はさ・・・・」と言われます。「・・・」部分を聞くことは本当に私のメンタルを砕き、ゲシュタルト崩壊します。私はまだまだ人格の統合が進んでいませんので、これからも逃げるでしょうね。ちなみにこの第二の黒歴史のサイクルから抜け出たきっかけがあります。それは、とあるトレーニーさんにこんなことを言われたのです。『あなたと動作法をしていても楽しくない。自分のために動作法をしないでほしい』。きつかったですね。本当に辛かった。キャンプ最終日前日の夜に言われたのです。なんか申し訳なったとかでなく、正直、本当に恥ずかしかったですね。
 まだまだ黒歴史はあるのですが、今回はこれぐらいにしておきましょう。最後に自己弁護的な結びをすると、私は今でも自分の黒歴史が決していい経験だったと思いません。忘れられるなら忘れたいし、当時の自分をご存知の方々にお会いするのも気が引けてしまいます。でも一つ言わしてもらうと、当時の私は一切の疑いなく記載した行動を行っていました。でも今思うと非常に恥ずかしく、見るに堪えない自分の姿です。私は常に不安を抱えています。今の自分が自然体で行っている姿が、数十年後にはとっても恥ずかしく、憎らしく思えるのではないかと。だからこそ、今の自分はどこか至らない自分である、またその至らなさが見えていない自分であるという考えを常に持つようにしています。そんなことしたら精神を病むよという方もいるかもしれませんが、これは私なりのメンタルの健康法と言えるのです。先に記載したように、10年前の私は今の私にとってとてつもない黒歴史レベルです。今から10年後40歳過ぎにはもう少し灰色レベルの自身の歴史が振り返れたらいいなと思っています。そうなってくれば、私の老後はどんどん明るくなっていくと期待できます。
 長々と失礼しました。これぐらいで終了とさせて頂きます。このような機会を下さった香野先生に感謝申し上げます。本稿の内容が何かの役に立てば幸いです。

※このリレーエッセイは、全国各地のトレーニー・トレーナー・保護者が徒然なるままに思いを綴っていきます。

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